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いまにぃの小言

 

いまにぃの小言

いまにぃの小言
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2017年 今年もよろしくお願いします!
2017-01-05
 
  あけましておめでとうございます 
 
今年も「いまにぃの小言」をよろしくお願いします
 
毎年恒例1月3日 競艇場からの~ 新年会からの~ 寒川神社」へ初詣(御祈祷)
に行ってきました (正月早々疲れましたョ
 
いまにぃの親友の競艇選手「山田竜一」を江戸川競艇場まで応援しに行き  横浜の野毛に戻り翌日午前2時まで新年会  マン喫で仮眠  早朝に友達が務めている店で朝メシ  帰宅してから寒川神社へ会社の祈祷して  寒川店の神棚へ祀って  綾瀬店の神棚へ祀って終わり  あーーー疲れた  ・・・・ で、次の日仕事始め
 
まぁ相変わらずアホな行動を正月早々していますが、この2日間で様々な「人生模様」を
いまにぃ得意の「人間ウォッチング」出来ました
 
まず  競艇場の場合
競艇場は個性豊かな方がいっぱい居ます、大半の方が高齢者で朝から酔っぱらっています。
このクソ寒いのに裸足の方、落ちているハズレ舟券を集めて精算機に入れている方、
家からオセチ料理の重箱を勝手に持って来てツマミに呑んでいる方、
生活かかってんだぞー」感がハンパないです。殺気立っています。
もちろん、カップルやフャミリーや趣味で来られている方も多少います。
 
次に  寒川神社の場合  
初詣のカップルや家族連れ、友達同士や晴れ着姿の女の子たちでとっても華やかです。
ご祈祷を受ける方は1時間以上並びます。いまにぃも個人と会社のご祈祷を受けるので並びました。
大勢で来ている家族連れの中にいまにぃも混ざって並んでいました、どうもこの大家族は仲がいい裕福な家庭みたいで、「ご祈祷が終わったら皆でフグでも食べに行こーかー」とか
しゃぶしゃぶがいいなー」とか「お寿司がいいなー」とか「その後、カラオケ行こうよー
など、ほのぼのした会話と多分お金持ちなんだろうなーみたいな会話が飛び交っていました。いまにぃはご祈祷を受けに行列に並んでいたら、たまたま大家族の中に混ざってしまいとっても気まずかったです。
 
ご祈祷を受けて全ての用事を済ませ、長いハードな2日間を振り返ってみると
競艇場で生活を賭けた殺伐とした雰囲気」「初詣のホッコリと幸せそうな家族の雰囲気」と様々な人間模様があるんだなー、人生っていろいろあるんだなーっと深く考えさせられました。
 
あなたは、どっち(なんちって
 
と言う事で、相も変わらずくだらない事を今年もボチボチ書いて行きますので宜しくお願い
致します。
 
今年も皆様にとって良い一年でありますように
 
 
 
富山県をめぐる旅 其の七 /完結
2016-12-30
 
毎度おなじみ、流浪のつぶやきいまにぃの小言」でございます
 
と言う事で、前回の続き「富山県」に行ってきた事を何回かに分けて書いています
 
富山県をめぐる旅も「其の一」から気が付いたら「其の七」に渡ってズルズルと書いてしまいましたが今回で最終です。
氷見市で最高のきときと料理をいただいた後に「富山きときと空港」に向かいながらの観光です
 
まずは、高岡市にある加賀藩二代藩主前田利長公の菩提寺の国宝「瑞龍寺
 
ここの入口にある総門は「東大の赤門」と同じ造りになっているそうで、もともと
「東大の赤門は前田家の大名屋敷の門だったそうすヨ
 
瑞龍寺の総門」            「東大の赤門
 
まぁ似てるっちゃあ似てるかな 同じ造りだそうです
 
総門・山門・仏殿・法堂を一直線に配列し、左右に僧堂・大庫裏があって、とても立派なお寺です、さすが国宝
 壮大な伽藍配置様式の豪壮にして典雅な美しさに圧倒されます。加賀藩百二十万石の財力を如実に示す江戸初期の典型的な建造物です。高岡の開祖前田利長の菩提寺、曹洞宗の名刹です。3代藩主前田利常の建立で、1997年に山門、仏殿、法堂が建造物として国宝に指定されています。また総門、禅堂、大庫裏、大茶堂、回廊三棟が重要文化財として指定されており、江戸初期の禅宗寺院建築として高く評価されています。国宝瑞龍寺の素晴らしさを堪能しましょう。<資料添付>
 
見応えの国宝の次は「高岡大仏
  高岡大仏寺標
何かリアルな顔立ち
 日本三大仏に数えられる高岡大仏は、地元の銅器製造技術の粋を集め、1907年より26年の歳月をかけて完成したものです。はじまりはおよそ800年前、承久の乱をさけて越中に入道した源義勝が木造大仏を造営したことだといわれています。その後何度も荒廃や焼失といった危機にあいましたが、人々の願いにより再建を繰り返し今の形となっています。出来栄えが素晴らしいことから、日本一の美男とも呼ばれ銅器日本一の高岡の象徴的存在で愛され続けています。<資料添付>
 
次に訪れたのは富山市内「岩瀬まちめぐり
岩瀬地区は江戸初期から日本海を行き来する北前船の港町として栄えてきた町だそうです。
 
その中の北前船廻船問屋森家」にオジャマしました、代々この町で廻船問屋をされた
森家」の建物は明治11年に再建さてたそうで、この頃の建造物は伝統ある「和風」の設計になっていますが 、この時代「洋風」の文化が浸透しつつあり、所々「洋風」のデザインも取り入れられていて、お洒落でカッコイイ建物です。 いい味出してる~
 
北前船廻船問屋 森家 
 
建造物もいいですが、港町で繁栄した文化が町並みに残っていて、岩瀬大通りは、西側が
神通川の河港を背にし、道路は加賀藩の官道で、この通りには「北前船廻船問屋」森家を
はじめ馬場家、米田家、佐藤家、佐渡家、宮城家など廻船、肥料、北洋漁業で繁栄された旧家があり、宿場町とともに港を中心とした海商で栄えた廻船問屋街文化が残っているように感じました
 
こう言ったリアルに歴史の名残りや残り香がある街は、いまにぃの大好物です
思わず熱く書いてしまいました
 
この旅の最後に訪れたのは富山と言えば「薬売り」が有名かと思われますが、その薬屋
池田屋安兵衛商店」に伺いました
 
いまにぃは今まで大きな病気もせず、持病もなく、薬とは無縁なのです。
(親に感謝!アリガタヤ~アリガタヤ~)
 
この店には昔からの薬がいろいろと置いてあって、その中の「反魂丹」って言う江戸中期からある薬を見つけました、効能は「胃痛・腹痛」酒飲みにオススメって書いてあったので試しに購入して帰ってから飲んでみたら、物凄く調子よくて通販で追加購入して忘年会シーズンを乗り切りました
 
オマケにケロリンの風呂桶も衝動買いしてしまいました
 
 
そんなこんなで、かなり充実した「富山県をめぐる旅」でしたが、まだまだ富山県で
見たい物、食べたい物、呑みたい酒、○○したい女  など、いっぱい有ると思います
 
また機会があれば来たいな~  「富山県をめぐる旅」のお話しでした
 
ご覧になっている皆様、今年は今回が最後になります、一年間ありがとうございました
来年もボチボチ書いて行きますので、宜しくお願い致します
 
 
 
富山県をめぐる旅 其の六
2016-12-30
 
毎度おなじみ、流浪のつぶやきいまにぃの小言」でございます
 
と言う事で、前回の続き「富山県」に行ってきた事を何回かに分けて書いています
 
富山県2日目です  昨日は内容の濃い観光が出来て宇奈月温泉延對寺荘」も歴史ある
いい温泉♨宿でした  
 
本日はあいにくの小雨  まずは道の駅に寄ってお土産を買いに行きます、それから
氷見市内の富山湾で獲れたきときと料理  の昼食です、楽しみ~
 
魚津市にある「道の駅」✖ 海の駅・蜃気楼」に到着、さすが「海の駅」と言うように
富山湾沿いにありました、あいにくの雨でしたが晴れたら最高な景色が見れただろうな~
 
晴れていたらこんな感じ
 
 
海の駅・蜃気楼」では、富山県魚津漁港で水揚げされた鮮魚の販売、豊富な水資源が
もたらす 魚津の特産物の販売、レストランがあり、朝市や浜焼きなど、様々なイベントも開催されています。
 
一通りお土産を買いまして、その中で一番気に入ったのが「ホタルイカの素干し
これがライターで炙ると酒に合うメチャンコ美味い
 
「ホタルイカ素干...」の画像検索結果  「ホタルイカ素干...」の画像検索結果 
 
次に向かうは氷見市内での昼食です、トイレ休憩で寄った場所が富山ならではの絶景が見れる場所「雨晴海岸」です。これまた雨ですので残念  
一番上の左側の写真はトイレ付近にあった看板を撮った写真です、分かりずらいので
 
晴れていたらこんな感じ
国定公園 雨晴海岸写真
 
浜から眺める岩礁、富山湾越しに見る3,000m級の立山連峰の雄大な眺めは、四季それぞれに変化し、息を呑む美しさです。万葉の歌人、大伴家持は、この雨晴の風景をこよなく愛し、多くの歌を詠みました。雨晴海岸から氷見市の松田江の長浜までは「白砂青松百選」・「日本の渚百選」に選ばれています。源義経が奥州へ落ちのびる途中、にわか雨の晴れるのを待ったという「義経岩」があり、地名「雨晴」の由来ともなっています。ぜひ、雨晴海岸の絶景を目にしてみませんか?<資料添付>
 
トイレでスッキリしてから氷見市内に到着しました
 
今日の昼食は「割烹 秀月氷見の朝とれのきときと地魚を出してくれるお店です。
やっと本当の意味でのきときとと言う表現にピッタリな場面がやってきました
 
一番上の写真の中央と右側です、出してくれる料理は全てきときとすなわち新鮮でメチャンコ美味い富山県の美味い物ここにありって感じです。
 
 
 
富山県をめぐる旅 其の伍
2016-12-18
 
毎度おなじみ、流浪のつぶやきいまにぃの小言」でございます
 
と言う事で、前回の続き「富山県」に行ってきた事を何回かに分けて書いています
 
彫刻の街「井波」と「瑞泉寺」を散策した後に訪れたのが、
世界遺産白川郷・五箇山の合掌造り集落」の中の「相倉合掌集落」です
 
旧五箇山街道って言う古い山道の入口周辺に、昔からそのままの風景と建造物が残っている
集落です、集落内を散策してみると洗濯物が干してあったり、子供の自転車が置いてあったり、普通に生活をしている「生活感」が感じられます、世界遺産に登録されたので「家族が増えたから、隣の田んぼに新築建てよ~っと」とか「洋風のデザインに建て替えちゃお~っと」など出来ません。(チョットかわいそう
ですが、集落の住民の方は誇りを持て先祖代々続く「相倉合掌集落」に住まわれていると
思います
 
合掌造りの建物は豪雪地帯だけに、立派な柱、梁組、急勾配の小屋組など見応えあります
 
観光地で歴史跡と言うと、観光客が見やすいようにワザとらしく展示しているのを見て回る
のが定番ですが、「相倉合掌集落」のように現役で普通に生活している場所を散策するのも
リアル感があって、なかなかいいもんです
 
相倉には23棟の合掌造りが存在します、約100年~200年前のものが多く、古いものは400年前に建造されたといわれています。屋根の勾配は急で60度。断面は正三角形に近く、つまり、雪が滑り落ちやすい形なのです。この大きな屋根を支えるのは、根元の曲がったチョンナと呼ばれる太い梁。斜面に生育した自然に曲がった楢(ナラ)材を用いています。また、、合掌の組み立てには釘は一切打たず、縄とネソと呼ばれるマンサクの木を使っています。屋根の葺き替えは15年~20年ごとに、今は森林組合が中心になって行われています。雪深い厳しい自然に対応する強固な造り、さらに生活の場と生業の場をひとつにした合理的な建築です人々の生きる知恵が生んだ偉大な発明、それが合掌造りと言えます。
相倉集落に現存する合掌造り家屋の多くは、江戸時代末期から明治時代に建てられたものですが、最も古いものは17世紀にさかのぼると考えられます。史跡として保存される範囲には、これらの民家だけでなく、田畑・山林・池・道路・屋根葺きに必要な茅を取る「茅場(かやば)」や、雪崩から守るための「雪持林(ゆきもちりん)」までもが含まれます。<資料添付>
 
朝から「富山県」の歴史ある場所を数箇所か見学して1日目の観光は終了です。この後、
宇奈月温泉♨で疲れを癒してきときとな料理で宴会です、ハリキッて参りましょ~ 
 
ちなみに、泊まった宿が歴史ある宿でしたので紹介します
 
黒部峡谷・宇奈月温泉の宿「延對寺荘」(えんたいじそう 
創業明治三十三年、文人墨客がこよなく愛した老舗旅館「延対寺荘」の創業者 延対寺みよが高岡市に料理旅館「延對寺旅館」をオープンさせたのは、高岡大火から復興最中の明治三十三年のことであります。 当時は県内を訪れる皇族方をはじめ貴賓用の上宿として、県の迎賓館のように使用されておりました。大正時代初期、高峰譲吉博士が電源開発を黒部川上流に求めたところから宇奈月温泉が誕生しました。高峰博士の親戚にあたる木津元高岡市長の斡旋によって、みよが大正十四年に「延對寺旅館」(高岡)の宇奈月別館を開業。これが現在の「延対寺荘」でございます。 昭和三年、宇奈月温泉に旅行に来られた画家・詩人の竹久夢二氏が知友であった小説家の翁久允氏や漫画家の麻生豊氏、詩人の福田正夫氏らとご宿泊。その他、与謝野晶子氏や川端康成氏といった著名な文人墨客に親しんでいただきました。 富山県植樹祭には昭和天皇・皇后様を、昭和59年には元アメリカ大統領カーター氏もお迎えしております。 <資料添付>
 
 
 
富山県をめぐる旅 其の四
2016-12-12
 
毎度おなじみ、流浪のつぶやきいまにぃの小言」でございます
 
と言う事で、前回の続き「富山県」に行ってきた事を何回かに分けて書いています
 
やっとの思いで八日町通りを抜け出し、やってまいりました「瑞泉寺」です
 
中に入るといきなり大迫力の山門がドーンドーダーコレデモカー(しつこい  )
お出迎えしてくれます、さすが井波木彫りの町」と言うように彫刻の装飾が見応え抜群
 
瑞泉寺写真
江戸時代後期の天明5年(1785)、東本願寺の大工の棟梁であった柴田新八郎貞英により起工式が執り行われたが、同8年 本山の火災復興のため帰京した。副棟梁の地元井波の大工・松井角平垣徳が引き継ぎ、文化6年(1809)に上棟式を行い見事に山門を完成させた。<資料添付>
 
素晴らしい山門を抜けると本堂が正面に、これまた大きいご立派きときと(違うかっ
 
本堂でお参りをして、隣のカッコイイ建物が気になりドンドン中に入って行くと、そこには「太子堂」が、これまた立派なたたずまいと素晴らしい彫刻装飾のバランスが丁度よくて、ずーーーっと眺めていました  (上の写真中央です)
 
太子堂は二歳の聖徳太子の像を御安置した仏堂です。聖徳太子は仏教を厚く敬い保護したとされることから、日本仏教興隆の祖として、宗派を超えて崇敬されてきました。親鸞聖人も「和国の教主」と呼び、たくさんの和讃(わかりやすい言葉で書かれた七五調のうた)を作らその厚い崇敬を示されました。
瑞泉寺の太子堂は、弘化4年(1847)に創建されますが、明治12年(1879)の火災の折に焼失します。大正7年(1918)に至り再建されます。ここには後小松天皇から下賜されたと伝わる聖徳太子像が安置され、7月21~29日の太子伝会には、同じく後小松天皇から下賜されたと伝わる、8幅の太子絵伝をもとに太子の一生を絵で解説する全国でも珍しい絵解き説法が行われています。<資料添付>
 
太子堂」は大正7年(1918)に井波彫刻の粋を集めて再建されたそうです。
 
まさしく、彫刻の町井波」に「瑞泉寺」ありと言ったお寺でした
 
 
 

いまにぃの小言

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