毎度おなじみ、流浪のつぶやき「いまにぃの小言」でございます
と言う事で、前回の続き「富山県」に行ってきた事を何回かに分けて書いています
富山県をめぐる旅も「其の一」から気が付いたら「其の七」に渡ってズルズルと書いてしまいましたが今回で最終です。
氷見市で最高のきときと料理をいただいた後に「富山きときと空港」に向かいながらの観光です
まずは、高岡市にある加賀藩二代藩主前田利長公の菩提寺の国宝「瑞龍寺」
ここの入口にある総門は「東大の赤門」と同じ造りになっているそうで、もともと
「東大の赤門」は前田家の大名屋敷の門だったそうすヨ
「瑞龍寺の総門」 「東大の赤門」
まぁ似てるっちゃあ似てるかな 同じ造りだそうです
総門・山門・仏殿・法堂を一直線に配列し、左右に僧堂・大庫裏があって、とても立派なお寺です、さすが国宝
壮大な伽藍配置様式の豪壮にして典雅な美しさに圧倒されます。加賀藩百二十万石の財力を如実に示す江戸初期の典型的な建造物です。高岡の開祖前田利長の菩提寺、曹洞宗の名刹です。3代藩主前田利常の建立で、1997年に山門、仏殿、法堂が建造物として国宝に指定されています。また総門、禅堂、大庫裏、大茶堂、回廊三棟が重要文化財として指定されており、江戸初期の禅宗寺院建築として高く評価されています。国宝瑞龍寺の素晴らしさを堪能しましょう。<資料添付>
見応えの国宝の次は「高岡大仏」
何かリアルな顔立ち
日本三大仏に数えられる高岡大仏は、地元の銅器製造技術の粋を集め、1907年より26年の歳月をかけて完成したものです。はじまりはおよそ800年前、承久の乱をさけて越中に入道した源義勝が木造大仏を造営したことだといわれています。その後何度も荒廃や焼失といった危機にあいましたが、人々の願いにより再建を繰り返し今の形となっています。出来栄えが素晴らしいことから、日本一の美男とも呼ばれ銅器日本一の高岡の象徴的存在で愛され続けています。<資料添付>
次に訪れたのは富山市内「岩瀬まちめぐり」
岩瀬地区は江戸初期から日本海を行き来する北前船の港町として栄えてきた町だそうです。
その中の北前船廻船問屋「森家」にオジャマしました、代々この町で廻船問屋をされた
「森家」の建物は明治11年に再建さてたそうで、この頃の建造物は伝統ある「和風」の設計になっていますが 、この時代「洋風」の文化が浸透しつつあり、所々「洋風」のデザインも取り入れられていて、お洒落でカッコイイ建物です。 いい味出してる~
建造物もいいですが、港町で繁栄した文化が町並みに残っていて、岩瀬大通りは、西側が
神通川の河港を背にし、道路は加賀藩の官道で、この通りには「北前船廻船問屋」森家を
はじめ馬場家、米田家、佐藤家、佐渡家、宮城家など廻船、肥料、北洋漁業で繁栄された旧家があり、宿場町とともに港を中心とした海商で栄えた廻船問屋街の文化が残っているように感じました
こう言ったリアルに歴史の名残りや残り香がある街は、いまにぃの大好物です
思わず熱く書いてしまいました
この旅の最後に訪れたのは富山と言えば「薬売り」が有名かと思われますが、その薬屋
「池田屋安兵衛商店」に伺いました
いまにぃは今まで大きな病気もせず、持病もなく、薬とは無縁なのです。
(親に感謝!アリガタヤ~アリガタヤ~)
この店には昔からの薬がいろいろと置いてあって、その中の「反魂丹」って言う江戸中期からある薬を見つけました、効能は「胃痛・腹痛」酒飲みにオススメって書いてあったので試しに購入して帰ってから飲んでみたら、物凄く調子よくて通販で追加購入して忘年会シーズンを乗り切りました
オマケに「ケロリン」の風呂桶も衝動買いしてしまいました
そんなこんなで、かなり充実した「富山県をめぐる旅」でしたが、まだまだ富山県で
見たい物、食べたい物、呑みたい酒、○○したい女 など、いっぱい有ると思います
また機会があれば来たいな~ 「富山県をめぐる旅」のお話しでした
ご覧になっている皆様、今年は今回が最後になります、一年間ありがとうございました
来年もボチボチ書いて行きますので、宜しくお願い致します