住宅総合資材・建材や、木製遊具・日曜大工の材料のことなら"地元生まれ・地元育ち"の《株式会社今西銘木店》へ、ぜひお気軽にお問い合わせください。

 

いまにぃの小言

 

いまにぃの小言

いまにぃの小言
フォーム
 
いざ!「小田原」その①
2016-04-17
 
と言う事で、先日同業者の会合で小田原に行ってきました
 
いつもの調子で早目に着いて少し小田原散策を行いました
 
会合の場所は小田原城内にある「報徳会館」と言った初めてお伺いする会場ですので、
駅前から小田原城までの散策であります
 
駅から歩くこと5分位でいきなり「おしゃれ横丁」と言う怪しい路地を発見
 
お~っ入口から漂う怪しい雰囲気と昭和感バッチリの入口アーチ型モニュメントに
「おしゃれ横丁」と書かれ装飾も素晴らしい
 
無意識に体が、おしゃれ横丁に吸い込まれてしまいました
道幅も狭く、その中にいっぱい色んな店が続いていて、とても楽しくなる路地でした
 
小田原駅前にあるベルジュの間から、レンガの小径がはじまります。ここがおしゃれ横丁。 『小田原の町並み・50選』に指定される、風情ある商店街です。このおしゃれ横丁が、ハンガリーの首都ブダペスト市ツエ・ダウンタウン商工会と姉妹提携されているのをご存じですか?ドナウ川沿いに広がる美しい風景の街と城下町のちいさな商店街が静かな交流を続けているなんて素敵な話ですね。名物になっているモザイクの壁画も足をとめて見ている人がたくさんいます。名前のとおり、おしゃれなお店が立ち並ぶ小径は、これからの季節も散策が楽しい見どころがいっぱいです。 <資料添付>
 
おしゃれ横丁を歩いていたところで意外な物を発見
 
こんな所に歴史跡が突然と姿を現しました小田原と言えば「北条家」
その中の「北条氏政、氏照のお墓」がこんな町中、しかもおしゃれ横丁の途中にあるだなんて
 
油断してたら歴史跡、ギャップがすごくて笑っちゃいました
 
北条氏政は、北条氏第4代の領主。氏照は、氏政の弟で八王子をはじめ5つの城主でした。天正18年(1590)に豊臣秀吉が、北条氏を攻略した際に、時の城主氏直は高野山に追放され、父氏政、その弟氏照の両人は責任を負って自刃しました。自刃の場所は、城下の田村阿安斎邸(南町)で、遺骸は北条氏の氏寺であった伝心庵に埋葬されました。北条氏滅亡後、大久保氏の時代になって伝心庵は寺町(中町)に移され、その跡に永久寺を建立したので、この墓所は永久寺の所有となりました。

なお、この墓所は永く放置されてあったものを、稲葉氏が小田原在城の頃、北条氏追福のため、作り直したものです。それも関東大震災で埋没し、行方不明となりましたが、翌年、地元の有志によって復興されました。<資料添付>

 

おしゃれ横丁を後に小田原城に向け先に進みます(時間が無くなってきた

 

 

 
新橋「ガード下」でお疲れさん!
2016-04-14
 

さてと、この後ホテルのロビーで、以前一緒に仕事をしていた仲間と合流して軽く呑みに行くぞー(実はこれが楽しみでした )

 

と言う事で、帝国ホテルのロビーにて仲間を待っている事20分~30分の間ですが、実はこの待ち時間が面白く、のんびりした贅沢な時間なのです

 

ロビーはカフェと隣接しているのでコーヒーのいい香りが匂ってきて、オマケにピアノの生演奏が聞こえてくる、のんびりしたいい空間でロビーのソファーもフカフカで座り心地も良くタダで贅沢な時間を味わえるのです

 

ロビーにはいろんな人が出入りをしていて、得意の人間ウォッチングと妄想の始まりです

 

さすが「帝国ホテル」国際色豊かでヨーロッパ?アメリカ?人のような方が仲間やファミリーで「今日行ったところ面白かったネェ~」とか「この後どこでご飯食べようか?」とか何話しているか分からないけんど、楽しそうに話をしてたり

 

中国人の方が「明日どこで爆買いする?」など大きな声でにぎやかに話をしてたり

 

どお見ても「訳ありでしょ?」と言うような年が離れたカップルが「この後、部屋取ってあるんだ」みたいな感じで話しをしてたり

 

そんな人間模様を観察していたらアッと言う間に20~30分が経ち、仲間がやって来ました

 

向かうは、有楽町と新橋の間にあるガード下の飲み屋街

お互い田舎者なので、どの店に入っていいか分からないので毎年行っている

博多もつ鍋屋の「永山本店」に入り、お互いネクタイを外し「お疲れさま、カンパーイ」

 

一年ぶりの再会なので近況報告、仕事の悩み、家族の事、これからの事とかなり内容の濃い飲み会になりました

 

お互い明日から「また一年頑張ろう!」と来年の再会を誓い、終電ギリギリで帰路に着きました

 

もつ鍋 最高~

 

 

 
格式高い「帝国ホテル」
2016-04-10
 
急いで信号を渡り、いざ帝国ホテルへ(日比谷公園の向かいが帝国ホテルなのです、大げさです)
 
ここら辺は戦国時代は海岸(入り江)だったそうで、徳川家康の時代に埋め立てたそうですヨ。
 

日比谷入江(ひびやいりえ)は、現在の東京都千代田区東部に江戸時代初頭まであった入り江である。

入り江は江戸湾(東京湾)北西奥に、新橋付近を湾口として北に伸び、北端は現在の大手町にまで達した。そのやや南に、現在の丸の内1丁目から皇居外苑に入る和田倉門があったが、「和田」とは「ワダ()」を意味し、海に面した倉庫があったことに由来する。徳川家康の関東入国までは平川(現神田川)の河口であった。

江戸時代初頭には軍港として利用された、1620年代になると建設残土などを使った天下普請による埋め立てが進行し、大名屋敷となった。これに伴い、漁民は京橋と芝口に移住した。〈資料添付〉

 

現在この場所に居ると、入り江だったとは想像つきません。ビックリ

 

と言う事で、「帝国ホテル」に時間ギリギリで到着。

 

中に入ると、わたくしの日常ではあり得ない格式高い雰囲気、落ち着いたいい香り、自然と背筋がシャキッとする気がして、肩がコル・・・

 

何もかもが一流で緊張感が漂い、肩がコル・・・

 

おまけに、着慣れないスーツにネクタイ姿なので、肩がコル・・・ 

 

やっぱり、いまにぃには田舎の公民館とか自治会館などの集会場の方が気楽にジャージ姿で行けるし、身の丈にあっていて落ち着くな~

 

でも年に一度くらいは、この様な雰囲気を味わうのも肩がコルけんど現実から離れた気分になって悪くないかな?(どっちなんだ!

 

と、なんだかんだ緊張しながら、お呼ばれした用事が終わり。

 

さてと、この後ホテルのロビーで、以前一緒に仕事をしていた仲間と合流して軽く呑みに行くぞー(実はこれが楽しみでした )

 

帝国ホテルは1890年明治23年)11月3日に落成、同7日に開業した。隣接する鹿鳴館と密接な関連を持ったホテルとして井上馨渋沢栄一大倉喜八郎の2人を説いて、1888年(明治21年)有限責任帝国ホテル会社(設立当初は有限責任東京ホテル会社)を設立させ建設したものである。 〈資料添付〉

 

 

 
日比谷公園「心字池」(しんじいけ)
2016-04-04
 
気が付いたら4月になっておりました3月があっちゅー間(あっと言う間)に終わってしもうた
 
と言う事で、前回の続きですョ
 
「日比谷公園」に入って行き「日比谷公会堂」の渋~く、カッコイイ建物に感動した後、
まだ少し時間があったので皇居方面をブラブラトボトボ 
 
そもそも「日比谷公園」とは何ぞや?
 
 幕末までは松平肥前守などの屋敷地でしたが、明治時代に陸軍練兵場となりました。その後「都市の公園」として計画、設計、造成された、日本初の「洋風近代 式公園」が誕生し、平成25年に開園110年となりました。文化の先駆者として公園設計者の意気込みは、大小の野外音楽堂や公会堂に見ることができます。 これらの施設は現在でも広く利用されています。〈資料添付〉
 
まずは、帝国ホテル向かい側にある入口の両サイド、古い支柱が建っております(写真左)
この支柱はよく見ると角が壊れていて、
「恐らく(ここからは得意の妄想です)戦時中、日比谷公園は避難場所になっていて、
公園付近まで爆撃があり、戦火の中を生き残った支柱で、その時の傷跡を生々しく残しているのではないかな~」
などと勝手に興奮しながら、先に進むのであった
 
その先を見ると、石垣らしい場所を発見
わぁ~スゴイ(写真中央)江戸城の石垣がそのまま残されていました、
よ~くこんなデッカイ石を重機のない時代に何処から運んでどの様に積み上げたのか?
いまにぃの頭では考えられませ~ん。(妄想にも限界がありま~す)
 
昔の人の知恵と努力と権力はスゲ~!
 
日比谷公園に残る貴重な江戸時代の遺構。日比谷公園のある場所は江戸時代は大名の屋敷地であり、江戸城に登城するためには現在の日比谷交差点にかかる位置にあった日比谷御門の一部であり、見張り役人が警備する日比谷見附を通り抜けなければなりませんでした。日比谷見附は野面積み(のづらづみ)の石垣であり、江戸時代初期の築造です。石垣の周囲は濠になっていましたが、その一部を明治36年に「心字池」として残しました。〈資料添付〉
 
 「心字池」(しんじいけ)は都会の進化を背景にひっそりと残っていました(写真右)
 
なんか面白い、現在の「The東京」と言った景色と「The江戸」の頃の景色が混合していて石垣をはさんでタイムスリップしたような景色でした
 
と、自分の世界に入っていたら、帝国ホテルにお呼ばれしていた時間ギリギリになってしまいまた今度ゆっくり来ようと思われる「日比谷公園」でした。
 
ヤベー!遅刻する~!
 
 
 
何かと思えば「日比谷公会堂」
2016-03-02
 
寒~い、けんど日中あったか~い今日この頃
 
そのせいか周りに風邪っ引きが多くなり、皆さん気をつけてくんろ
 
そんな中、仕事で「帝国ホテル」に行く事がありました。
 
「オラ、田舎者だから東京さなんてビビっちまう」(妄想東北弁)
しかも、かの有名な、て、て、「帝国ホテル」さなんて~!
 
と、少し緊張しますが実は毎年お呼ばれで行かせてもらっています
 
この日は、結構早目に着いてしまいホテルに入るまで時間があったので
向かいにある日比谷公園にブラブラ入って行きました
 
まず、目に入ってきたのが、なんとも味のある建物 
カッコイイな~と近づいてみると「日比谷公会堂」でした、
その姿は昭和の歴史を東京の中心で見守って来たオモムキが感じられ
すごく古くカッコイイ建物でした。
 
昭和4年に時の東京市長・後藤新平伯の発議と、安田善次郎翁の寄付金によって、当時の建築技術の
粋を集めて建設されました。昭和の歴史とともに、わが国の文化芸術の発展に多大な貢献をしてまいりました。戦前から戦後にかけ、内外の著名演奏家によるコンサートのほとんどがおこなわれ、日本のカーネギーホールとも称されました。また近年では、講演会、式典、各種大会等多方面にわたる催物会場としても広く利用されております。 (資料添付)
 
やはりこの時代の建築物は味わい深くてカッコイイ~。
 
まだ少し時間があるので、もうちょっとブラブラすんべ~っと
 
 
 

いまにぃの小言

いまにぃの小言
 
ちょっとしたサイディング(外装)のリフォームです
<<株式会社今西銘木店>> 〒253-0114 神奈川県高座郡寒川町田端1271-1 TEL:0467-75-7190 FAX:0467-74-8639