いまにぃの小言
いざ!「小田原」その②
おしゃれ横丁を後に小田原城に向け先に進みます
(時間が無くなってきた
)
と言う事で、急ぎ会場である「報徳会館」へ向かう途中に何やら歴史跡をまた発見
どおやら「小田原城跡の土塁」だそうです
平地に盛られる土塁は堀と組みとして作られ、堀を穿ったときの土を盛土に利用して作られることが多い。これを掻揚土塁(かきあげどるい)という。土塁内側からの高さは低くて約2メートル、高くて3メートルほどある。また、盛土ではなく山の斜面で切土(きりど)をして勾配を造ったものを切岸(きりぎし)をいう。江戸時代以前、こうした土塁や切岸は土居(どい)、土手(どて)と呼ばれていた。
土塁の役割として、防御区画内部への攻撃側の侵入を阻止する障壁。攻撃側からの防御区画内部への視界を遮り射撃を防ぐ。戦術上有利な位置となる高所を守備側に占位させる。などがあげられる。<資料添付>
小田原駅から城址公園に向かって一番最初に目にする城跡
記念碑と遊歩道としての土塁が残されていて、戦国時代に上杉謙信や武田信玄の攻撃を
小田原城は受けるのですが、幸田門の付近から侵入を許したと言われています、遊歩道の土塁には江戸時代の石垣の一部が残されています
城には堀があります、堀を深く掘り、掘った土を盛って土塁にして倍の高低差をつけて防御壁にしたんですね~
頭いいな~
江戸時代の小田原城の三の丸の土塁跡を後に会場である「報徳会館」に向け先に進みます
(時間がヤベ~
)
いざ!「小田原」その①






なお、この墓所は永く放置されてあったものを、稲葉氏が小田原在城の頃、北条氏追福のため、作り直したものです。それも関東大震災で埋没し、行方不明となりましたが、翌年、地元の有志によって復興されました。<資料添付>
おしゃれ横丁を後に小田原城に向け先に進みます
(時間が無くなってきた
)
新橋「ガード下」でお疲れさん!
さてと、この後ホテルのロビーで、以前一緒に仕事をしていた仲間と合流して軽く呑みに行くぞー
(実はこれが楽しみでした
)
と言う事で、帝国ホテルのロビーにて仲間を待っている事20分~30分の間ですが、実はこの待ち時間が面白く、のんびりした贅沢な時間なのです
ロビーはカフェと隣接しているのでコーヒーのいい香りが匂ってきて
、オマケにピアノの生演奏が聞こえてくる
、のんびりしたいい空間でロビーのソファーもフカフカで座り心地も良くタダで贅沢な時間を味わえるのです
ロビーにはいろんな人が出入りをしていて、得意の人間ウォッチングと妄想の始まりです
さすが「帝国ホテル」国際色豊かでヨーロッパ?アメリカ?人のような方が仲間やファミリーで「今日行ったところ面白かったネェ~」とか「この後どこでご飯食べようか?」とか何話しているか分からないけんど、楽しそうに話をしてたり![]()
中国人の方が「明日どこで爆買いする?」など大きな声でにぎやかに話をしてたり
どお見ても「訳ありでしょ?」と言うような年が離れたカップルが「この後、部屋取ってあるんだ」みたいな感じで話しをしてたり
そんな人間模様を観察していたらアッと言う間に20~30分が経ち、仲間がやって来ました
向かうは、有楽町と新橋の間にあるガード下の飲み屋街
お互い田舎者なので、どの店に入っていいか分からないので毎年行っている
博多もつ鍋屋の「永山本店」に入り、お互いネクタイを外し「お疲れさま、カンパーイ」![]()
一年ぶりの再会なので近況報告、仕事の悩み、家族の事、これからの事とかなり内容の濃い飲み会になりました
お互い明日から「また一年頑張ろう!」と来年の再会を誓い、終電ギリギリで帰路に着きました![]()
もつ鍋 最高~![]()
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格式高い「帝国ホテル」


日比谷入江(ひびやいりえ)は、現在の東京都千代田区東部に江戸時代初頭まであった入り江である。
入り江は江戸湾(東京湾)北西奥に、新橋付近を湾口として北に伸び、北端は現在の大手町にまで達した。そのやや南に、現在の丸の内1丁目から皇居外苑に入る和田倉門があったが、「和田」とは「ワダ(海)」を意味し、海に面した倉庫があったことに由来する。徳川家康の関東入国までは平川(現神田川)の河口であった。
江戸時代初頭には軍港として利用された、1620年代になると建設残土などを使った天下普請による埋め立てが進行し、大名屋敷となった。これに伴い、漁民は京橋と芝口に移住した。〈資料添付〉
現在この場所に居ると、入り江だったとは想像つきません。ビックリ![]()
と言う事で、「帝国ホテル」に時間ギリギリで到着。
中に入ると、わたくしの日常ではあり得ない格式高い雰囲気、落ち着いたいい香り、自然と背筋がシャキッとする気がして、肩がコル・・・
何もかもが一流で緊張感が漂い、肩がコル・・・
おまけに、着慣れないスーツにネクタイ姿なので、肩がコル・・・

やっぱり、いまにぃには田舎の公民館とか自治会館などの集会場の方が気楽にジャージ姿で行けるし、身の丈にあっていて落ち着くな~
でも年に一度くらいは、この様な雰囲気を味わうのも肩がコルけんど現実から離れた気分になって悪くないかな?(どっちなんだ!
)
と、なんだかんだ緊張しながら、お呼ばれした用事が終わり。
さてと、この後ホテルのロビーで、以前一緒に仕事をしていた仲間と合流して軽く呑みに行くぞー
(実はこれが楽しみでした
)
帝国ホテルは1890年(明治23年)11月3日に落成、同7日に開業した。隣接する鹿鳴館と密接な関連を持ったホテルとして井上馨が渋沢栄一と大倉喜八郎の2人を説いて、1888年(明治21年)有限責任帝国ホテル会社(設立当初は有限責任東京ホテル会社)を設立させ建設したものである。 〈資料添付〉
日比谷公園「心字池」(しんじいけ)






(写真右)
と言った景色と「The江戸」
の頃の景色が混合していて石垣をはさんでタイムスリップしたような景色でした
また今度ゆっくり来ようと思われる「日比谷公園」でした。




