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いまにぃの小言

 

いまにぃの小言

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福富町「スナック 葵」
2016-06-07
 
長~い梅雨が始まりました・・・(´・д・`)ヤダな~
 
と、言う事で前回の続きであります
 
本格焼き鳥の店「鳥伊勢」を後に、次に行った店は「スナック 葵」であります
 
いまにぃが学生の頃からお世話になっているお店です、
 
青春(今でも青春と思っている)の思い出の背景にある場所です。
 
皆さんにも楽しい時によく行っていた場所や背景があると思います、そんなお店です。
 
「葵」は関内でも老舗のスナックで、最初は伊勢佐木町通りの一本裏の親不孝通りに
ありましたが、ここ3年位前に福富町へ移転して来ました
 
ここのママさんは最高年配のママさんですが、元気、元気、超元気でチャキチャキの
浜っ子(山梨出身)ってな感じでパワフルでサービス精神旺盛
 
そんなママさんが作ってくれる焼酎の水割りは、焼酎入れ過ぎでグラスの中がメラメラして
います(濃い~っ)
 
さすが老舗のママさん、「古き良き横浜」の話を聞くと物凄くリアルで、
 本牧の「チャブ屋」、伊勢佐木町の「根岸屋」、美空ひばりがオーナーの「おしどり」、
「メリーさん」などなど、その時代そのまま生きていたママさんは、
つい昨日のように話をしてくれる、まだまだ横浜の面白い話が沢山出てくると思います
 
そんなママさん、実はKIRICOのお母さんでした
 
でもね、輝かしい高度成長期の「銀座で飲んで、伊勢佐木町で遊ぶ」の時代から
この世界でず~っと一線を張ってきた「葵」のママさんは本当にカッコイイ
 
いつまでも元気でな
 
 
 
福富町「焼鳥 鳥伊勢」
2016-06-01
 
目に青葉、山ホトトギス、初鰹 
 
と、言う事で久しぶりに「腐れ縁三人衆」の中の一人(腐れ縁三人衆は以前このブログで書いておりますので見てください)KIRICOと呑みに行ってきました
 
KIRICOは「横浜生まれの横浜育ち」(桂歌丸かっ)特に本牧から伊勢佐木町辺りの
ディープゾーンはよく知っていて関内に来るとほとんどお任せで店に連れて行ってくれます。 「オ~、心の友ヨ~」(ジャイアンかっ
 
いつもは野毛ですが、たまには福富町あたりで美味しい焼鳥で呑みたいな~などと言っていたら、さすがKIRICO、本格的な焼き鳥屋さんに連れって行ってくれました
 
「鳥伊勢 伊勢佐木町本店」
 
この店はちょっと高いけど(野毛に比べたら)焼き鳥のネタも大きく、しかもメチャメチャ
美味しい
 
初めて入る店なので店内の写真は遠慮しましたので、気になる方はネットで探してください
 
最後に出てくる「鳥スープ」がこれまた絶品だす  また来よ~っと
 
 
 
藤沢「旧近藤邸」
2016-05-31
 
光陰矢の如し、あっという間に明日で6月だす。お元気でしたか?
 
と、言う事で今回はこの前配達に行った現場のお話しです、お客様より現場名
 
は近藤様邸と聞いておりました、現場の場所を確認すると藤沢市の公共施設が
 
集まっていて、いつも車が混雑しているようなところでした。
 
現場に到着すると、そこは藤沢市民会館の中・・・ 近藤様邸と言っても
 
国登録有形文化財の「旧近藤邸」が今回の現場でした びっくりポンだす
 
旧近藤邸は、関東大震災の直後の1925年(大正14年)、藤沢市辻堂の松林に別荘として建てられました。当時の和洋折衷の代表的な建物といわれています。建て主の近藤賢二氏没後、所有者が変わり、老朽化に伴って取り壊しが決定されましたが、保存を望む声が近隣の住民や建築家から起こりました。「旧近藤邸を守る会」を中心とする1年余りの保存運動の結果、藤沢市によって移築保存されることになりました。1981年3月、藤沢市民会館の前庭に移築され、今日に至っています。 〈資料添付〉
 
なにっ早速配達業務を終わらし、いつもの現場見学会ではなく歴史調査を行いました。
 
さすが国登録有形文化財、大正時代に設計し建てられた物とは想像つかないほど
 
正面も側面も裏面も全てカッコイイデザインですが、どことなく大正ロマンを感じさせる
(いまにぃは単純である)
 
味わいのある建築物でございました。
 
皆さんも興味が有ればご覧あれ  入場無料ですヨ!無料!無料!無料が一番。
 
 
いざ!「小田原」その③(最終)
2016-04-30
 
江戸時代の小田原城の三の丸の土塁跡を後に会場である「報徳会館」に向け先に進みます(時間がヤベ~)と言う事で、ドンドン小田原城に向け進む進む~
と思いきや路地を抜けたら到着しました小田原城
 
入口のお堀周辺は静かな雰囲気って言うか夕方で今にも日が暮れそうな時間帯、
誰も人が歩いていません
 
お堀から入口にかかる橋を渡り(橋だけんど真ん中を歩く)入城しました天守閣に進んでいるとご立派な門、その先も門、門、門とモンモンとして来た(違うか!)
 
そう言えばテレビで観た事がある天守閣へ真っすぐに行けず、
クネクネ曲がっていて門があり、敵が侵入しずらく作っている(なるほど~)
 
城内をクネクネ歩いていたら、カッコイイ建物を発見
 
元「小田原町図書館」 
竣工:1933年(昭和8年)
場所:小田原市城内7-8
b0199449_8294245.jpg

昭和8年4月1日に開館した、「小田原町図書館」として建設。
昭和15年12月20日に「小田原市図書館」に改称。
昭和30年1月20日に図書館の移転に伴い、「小田原市郷土文化館」として開館。
昭和46年に郷土文化館が移転し、市役所の分庁舎となる。
昭和51年7月26日の市役所移転に伴い、「中央連絡所」として開設。
平成6年に中央連絡所が移転し、「二の丸観光案内所」となり現在に至る。〈資料添付〉
 
 なんと83年前の図書館、
小田原市が小田原町の頃ですって、今は観光案内所として現役で活躍中
 
この建物をジロジロ眺めていたら辺りが暗くなってきて時間が無くなってしまい、天守閣を観ずに会場へ向かいました(今度ゆっくり来ますネ)
 
 「報徳会館」に到着。この会場は「報徳二宮神社」と並列されていて、とてもいい会場です                        
 
今回の会合を企画してくれた小田原の同業者は小田原「林青会」と言う材木屋の集まりで、
スゴイ企画力、発想、行動力を持った集団です、小田原市とタイアップして小田原で採れた
木材をいろいろと商品化したりイベントにも積極的に参加して小田原の木材をアピールしています
 
今回も「報徳二宮神社」の鳥居を地元小田原の木で造っちゃおうと言う企画で小田原藩主が植林した300年物の杉の丸太を伐採するところからイベント化して、一般公募により伐採を体験してもらうような企画など、素晴らしい事を行っている木材同業仲間です
 
色々と刺激があり面白い有意義な会合と、その後の有意義な夜の街もとっても充実した
小田原でした
 
 
 
いざ!「小田原」その②
2016-04-21
 

おしゃれ横丁を後に小田原城に向け先に進みます(時間が無くなってきた

 

と言う事で、急ぎ会場である「報徳会館」へ向かう途中に何やら歴史跡をまた発見

 

どおやら「小田原城跡の土塁」だそうです

 

地に盛られる土塁はと組みとして作られ、堀を穿ったときの土を盛土に利用して作られることが多い。これを掻揚土塁(かきあげどるい)という。土塁内側からの高さは低くて約2メートル、高くて3メートルほどある。また、盛土ではなく山の斜面で切土(きりど)をして勾配を造ったものを切岸(きりぎし)をいう。江戸時代以前、こうした土塁や切岸は土居(どい)、土手(どて)と呼ばれていた

土塁の役割として、防御区画内部への攻撃側の侵入を阻止する障壁。攻撃側からの防御区画内部への視界を遮り射撃を防ぐ。戦術上有利な位置となる高所を守備側に占位させる。などがあげられる。<資料添付>

 

小田原駅から城址公園に向かって一番最初に目にする城跡

記念碑と遊歩道としての土塁が残されていて、戦国時代に上杉謙信や武田信玄の攻撃を

小田原城は受けるのですが、幸田門の付近から侵入を許したと言われています、遊歩道の土塁には江戸時代の石垣の一部が残されています

 

城には堀があります、堀を深く掘り、掘った土を盛って土塁にして倍の高低差をつけて防御壁にしたんですね~ 頭いいな~

 

江戸時代の小田原城の三の丸の土塁跡を後に会場である「報徳会館」に向け先に進みます(時間がヤベ~

 

 

 

いまにぃの小言

いまにぃの小言
 
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